矢部屋 許斐本家(このみ園)

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矢部屋 許斐本家(このみ園) 会社情報

一般情報

 許斐(このみ)家について
 
 当家の歴史は、古代より福岡県北部の豪族であった宗像氏に遡り、宗像家は有史以来、海運を司る宗像三女神:田心姫神(たごりひめのかみ)、湍津姫神(たぎつひめのかみ)、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)を祀る宗像大社の大宮司を代々務め、大陸との交易を生業とする海人族でした。
宗像氏の庶流である許斐(このみ)の氏姓の由来は諸説あり、宗像市内にある空海が創建した真言宗最初の寺院鎮国寺(ちんこくじ)=宗像大社の神宮寺には宗像三神、織幡明神とともに阿弥陀如来を本地仏とする許斐権現の五体の仏像が安置され、神仏習合本地垂迹説からもルーツが伺えます。
 
 その後、紆余曲折を経て戦国時代末期に八女の地に入り、江戸中期宝永年間(1704~1710年)になると当家は「矢部屋」と号し、現在の八女市矢部村辺りから、材木・茸類・茶などの山産物を運び、物産集積地の上妻郡福島町(現八女市)で商売を始めます。

幕末に大浦慶ら長崎商人が外国人と直接茶貿易を始めるようになると、嬉野のお茶だけでは足らず、慶たち長崎商人は八女福島町にもお茶の買付に来るようになります。その当時大消費地だった「都」を除き、お茶だけを扱うような問屋は地方ではまず見られません。お茶だけで商売が成り立つほど世の中は潤っていなかったようです。
しかし幕末の茶貿易によって茶問屋という新しい商いの形が現れ始めようとしていました。その茶貿易に目を付け専門問屋化したのが初代 許斐寅五郎でした。
それまで矢部屋として様々な山産物を扱っていた本家の商いから、茶商部門を譲り受け、茶に一本化した輸出問屋をはじめます。

明治維新を迎えると、外貨獲得策として日本のお茶は益々輸出拡大期を迎えます。しかし輸出を急ぐあまり、乾燥工程をきちんと経ずに送られていた茶は輸入国では大きな問題となっていました。明治十六年(一八八三年)、ついにアメリカは贋茶(粗悪茶輸入)禁止条例を出し、対米緑茶輸出は良品不良品に関わらず一時的にストップします。また釜炒製の多くの日本茶は品質面から輸出不振となりました。外需頼みの日本茶業界は苦境に立たされ、当地方の茶輸出も順次脱落していきます。

二代久吉は方針を転換し、国内での販売拡大を目指します。技術的な見地からこの地方の気候風土に玉露の生産が適していることを見出し、より高品質な玉露の生産の為に科学的な検証を行い、玉露の品質向上を推し進めて行きました。また京都の特産である宇治茶の製法を研究し、当地方の茶を蒸製へ転換するため模索します。当時八女地方の茶は筑後茶と総称され、笠原茶、星野茶など細かい地域名でも呼ばれており、大半は旧来の釜炒り製でした。それ故、宇治茶や静岡茶に品質面で大きく差を開けられていました。久吉は高品質の蒸し製緑茶を八女茶と名付け一つにしてその量産化に尽力します。そして初代久吉の代では特産化の夢は叶わず、意思は二代目の息子三代久吉に引き継がれました。契機は大正十四年に訪れます。
その年福島町で行われた物産共進会 茶の品評会の部で、質・量とも対外に通用することを確信できた当地方の茶業関係者たちに、二代目久吉(当時八女郡茶業組合理事長)は会合の席で、八女茶の名称と特産化を提案、それは満場一致で可決されたのです。
ここに久吉親子の悲願が達成され、後に八女茶業関係者が一丸となり、茶の品質向上と生産量の拡大が計られて行きました。
現在 世界では転換期が叫ばれております。日本の茶業界においても新しい価値創造が求められています。私共も今一度幕末から明治期かけて社会企業家の原点にたち帰り今後の役割を考えいきたいと思っております。

☆弊社のお茶の製造工程

❶拝見審査=値付け
荒茶工場で出来た荒茶の総合評価(審査して値を評価します/現在は茶市場で入札制度により評価をして買い取ります)を行います。

❷精選加工
次に茶の仕上げ製造工程を行います。
 当社の仕上げ茶製造工程では、精選加工といわれる茶葉の形を揃え異物(虫や木の葉など)を除去する工程を行います。

❸焙煎
次の仕上げ工程は茶の香味を最大限に引き出す焙煎加工です。この焙煎工程には現在様々な技術があり、昔ながらの焙炉と呼ばれる和紙の上で炭火焙煎する方法や、鉄の窯で炭火やガスバーナーで焙煎する方法、遠赤外線を照射して焙煎する方法、マイクロ波で焙煎する方法などあります。この焙煎によって茶の最終的な香味を決め、その香味により茶の風味が決まってくるので、茶の味を左右する最も重要な工程となります。
弊社では昔ながらの焙炉と呼ばれる和紙の上で炭火焙煎する方法、鉄の窯で炭火やガスバーナーで焙煎する方法、遠赤外線を照射して焙煎する方法を組み合わせ焙煎作業を行っております。

❹評価審査=品質審査
焙煎工程後は、茶の香味の不完全な部分を見つけ出す為、再び審査を行います。

❺合組=ブレンド
仕上げ工程の最後は、味の不完全さを補いコクを出していく、合組(ごうぐみ)(ブレンド)作業を行います。この合組工程は、茶を調合することで味を補完し整えていく、きわめて熟練度を有する作業です。技術や感覚が必要で、長年の勘や経験がモノをいいます。そのために合組作業は、基本的に問屋の嗜好によって香味が異なるため、その調合は秘伝とされ、それぞれの茶問屋ならではの味になっていきます。
このように、茶摘みからいくつもの工程を経てできた茶を、最後に流通に乗せ消費者の元に届けるという重要な役割を茶問屋が担っています。当社では147年という八女では最も長い年月を通してその生業を営んでおります。

※茶商についてのエピソードに面白いお話があります。
茶商は、戦前農協等の組合組織が無かった時代には、茶栽培の指導、資金提供、そして茶の買取り、販路開拓等の役割をすべて担っていました。そのため、茶業界では「三人の技術者より一人の茶商(やぶきた品種の生みの親 杉山彦三郎の言葉)」と云われ、業界を支える大変重要な存在でした。
現在でもお茶の相場や品質、二次製造、企画、流通等を担う役割を果てしています。

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営業時間
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火曜日:
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水曜日:
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木曜日:
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日曜日:
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駐車場
会社には駐車場がある。
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+81943-24-2020
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